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東京地方裁判所 昭和43年(合わ)308号 判決 1970年5月21日

被告人 和田俊一

昭和二〇・九・三生 塾講師

主文

被告人を懲役三年に処する。

未決勾留日数中二五〇日を右刑に算入する。

押収してあるガソリンよう液体の入つた七二〇ミリリツトル入り日本酒びん五本(昭和四四年押第七九一号の九、一〇および一二ないし一四)を没収する。

理由

(事実)

被告人は昭和三九年四月東京理科大学理学部数学科に入学し、昭和四三年九月同大学を卒業した者で、かねてから無政府主義革命を志向して急進的な活動を提唱していたが、昭和四三年四月ごろから東京都新宿区上落合三丁目三番二号小倉アパートこと小倉藤吉方に居住し、同所を背叛社と名づけて右活動の拠点とし、分離前の相被告人法政大学学生信太裕(当時一九年)、同東海大学学生長谷川準一(当時一九年)らの同調者を糾合し、同人らとともに分離前の相被告人東京理科大学学生中西秀樹(当時二一年)のほか、大学生井川武志、同吉田耕一ら無政府主義思想に共鳴し、あるいは関心を抱く学生ら二十数名を順次誘い集め、右背叛社において、月約一回例会と呼ぶ無政府主義の研究会などを行なつて右学生らに急進的な行動を提唱するなど、背叛社の主宰者および管理者として積極的な活動を続けていた。

第一、被告人は、昭和四三年六月二九日前記の信太、長谷川、中西、井川ら約二十名の学生を背叛社に集め、同人らに対し、日本共産党の議会主義を非難するという理由で同党本部に火炎びんを投げつけることを提案し、かつ、その必要性を強調して、信太、長谷川、中西、井川、吉田、松井邦昭ら約九名の賛同者らとともに、同党本部建物に火炎びんを投てきし、身体、財産等に危害を加える旨の気勢を示して同党本部員らを脅迫することの共謀を遂げたうえ、右約九名に逃走等の資金として一人あて約五〇〇円の金員を交付した。右約九名の学生は、右共謀にもとづき、背叛社に準備してあつた火炎びん(三六〇ミリリツトル入り日本酒びんにガソリンおよび灯油を入れ、布栓をしたもので、点火したうえ、投てきすることを目的とするもの)三本を携帯して同日午後五時ころ同所を出発し、その後新宿の喫茶店において、三名一組みの三組を作り、各組の一名が火炎びんを投てきするなどの打合わせを行なつたのち、同日午後七時四五分ごろ、右の各組に分かれてそれぞれ前記火炎びん一本ずつを携えて順次同都渋谷区千駄ヶ谷四丁目二六番地所在の日本共産党本部付近に赴き、長谷川、吉田、松井の三名において同本部前の様子をうかがつたのち、長谷川が、松井の点火した前記火炎びん一本を鉄骨コンクリート造りの右本部建物玄関外側のコンクリート柱に投げつけて炎上させ、よつて同党本部員上田均、高橋三四郎らをして、今後さらに同様の手段などによりその身体、財産にどんな危害を加えられるかも知れない旨畏怖させ、もつて、被告人は共謀のうえ数人共同して人を脅迫した。

第二、被告人は、さらに、社会不安を醸成して革命の条件を作るという意図で、政党、工場等の攻撃を企て、前記中西に薬品を使用して性能のよい火炎びんを製作する方法を考案するよう指示する一方、背叛社に出入りする前記二十数名の学生らに右攻撃を行なうことを呼びかけ、同年九月一日には背叛社において例会を開き、長谷川、中西ら十数名の学生を集め、同年一〇月中旬を期して自民党、公明党の二政党本部、警視庁、および日特田無、豊和化工、日本油脂などの工場ならびに成田、週刊サンケイ社等を攻撃すること、および、自民党は中西、豊和化工は信太、日特田無は長谷川、週刊サンケイ社は宮部彰芳(当時一九年)などと攻撃分担を指示し、さらにその後も背叛社の学生組織の情報紙と称するガリ版刷りの印刷物などを通じて、前記学生らに対し右攻撃の意義を強調し、これに応じて、中西は同年九月下旬ころまでに塩素酸ナトリウム、塩素酸カリウム、赤燐、金属マグネシウム、濃硫酸等を入手して、性能のよい火炎びんの考案に努め、また同月九日には、自民党本部の下見に赴き、宮部は同年一〇月六日長谷川とともに週刊サンケイ社を下見し、吉田、松井ら約一〇名の学生は、同年九月末から一〇月始めにかけて、背叛社において、被告人の指示のもとに、右攻撃の際に使用する目的で各人の顔に合わせて石膏の仮面を作成するなど、右攻撃の準備活動を行い、また、被告人、信太、長谷川、中西ら数名は、同年九月二四日および同月二八日の夜間、背叛社において、前記の薬品類を使用して数種の火炎びんを試作し、付近の路上等において投てき実験を行なつてその性能を検討し、その結果七二〇ミリリツトル入りのびんにガソリンおよび濃硫酸を入れ、そのびんの側面に塩素酸カリウム、赤燐、金属マグネシウムの各粉末を混合して紙片で包んだもの(以下薬包という。)を貼付した構造のものが、威力が最も大きく、右攻撃に最適であると判断して、これを攻撃に使用することにきめた。

被告人は、こうして、同年一〇月六日、例会として、背叛社に信太、長谷川、中西、吉田、井川、宮部、松井ら十数名の前記学生らを呼び集め、戦後警察の歴史などについての解説に引き続いて逮捕された際の黙秘権などについて説明を行なつた後、前記九月一日の指示に従い、各攻撃目標に担当者が火炎びんを投げつけることを示唆し、各人の意思を確かめたところ、吉田、松井ら約四名が実行を断わつたが、大半は右攻撃を実行する意思を暗に示したので、日時、方法は各担当者が決めることにするが、大体一〇月二〇日ごろまでに実行するよう指示し、さらに、信太、長谷川、中西ら同所に集合している数名の学生と右攻撃に使用する前記構造の火炎びんを製造することの意思を通じ、もつて共謀のうえ、

(一)  治安を妨げ、人の身体、財産を害する目的で、同日午後六時三〇分ごろ、信太に指示して硫酸を同人の下宿に取りに出かけさせたうえ、被告人において、同所六畳の間中央付近で、用意してあつた七二〇ミリリツトル入り日本酒びん五本(昭和四四年押第七九一号の九、一〇および一二ないし一四)を並べて、それぞれにガソリン約五〇〇ミリリツトルを均等に入れ、中西において、同室内の畳の上に四つ切りにした新聞紙を置き、あらかじめ長谷川が用意しておいた塩素酸カリウム、赤燐、金属マグネシウムの各薬品びんからこれらを順次右新聞紙の上に取り出し、混合して右新聞紙で包み、テープで止め、総重量二十数グラム(塩素酸カリウム約一五グラム、赤燐約四グラム、金属マグネシウム約六グラム)の薬包二個を作つて同室内の机の上に置き、右薬包二個をいつでも前記ガソリン入りのびん二本に貼付できる状態にして、もつて、これを他の物体に投げつけるときは、その衝撃により右薬包中の塩素酸カリウム、赤燐および金属マグネシウムの混合物が爆発し、びん内のガソリンを流出、炎上させるとともに、その爆発により多量の反応熱を生じ、かつ赤燐の飛沫およびガラスびんの破片を飛散させることにより、人の身体および財産を損傷し、かつ、右に加えて大きな爆発音、震動等を惹き起こすことにより、付近の住民を驚愕、混乱させて、公共の安全を乱すに足りる破壊力を有する爆発物二個を製造し、

(二)  法定の除外事由がないのに、右日時場所において(一)に記載したとおり、塩素酸カリウム約一五グラム、赤燐約四グラム、金属マグネシウム約六グラムを混合して新聞紙に包んだ薬包二個を作成し、もつて塩素酸塩を主とする爆薬を製造した。

(証拠の標目)(略)

(爆発物と認定した理由)

一、判示第二(一)の所為により製造された火炎びんは、ガソリン約五〇〇ミリリツトルを入れた七二〇ミリリツトル入り日本酒びんと、その側面にいつでも貼付することができる状態にある塩素酸カリウム、赤燐、金属マグネシウムの各粉末(その量の認定については後述する。)を混合して新聞紙で包装した薬包とから成つており、前掲証拠によれば、右薬包をびんに貼りつけて投てきするときは、その衝撃により右薬包中の塩素酸カリウムと赤燐および金属マグネシウムが急激な酸化反応(理化学上の爆発反応)を起こし、これによつてびんのガラス破片を飛散させるとともにガソリンを炎上させる性能を有し、投てきにより爆発する確率は相当高いことが認められる。

弁護人は、被告人らが製造しようとしたのは、右の火炎びんの中にさらに濃硫酸を混入したものであるところ、実際には信太がこれを自分の下宿に取りに出かけている間に前記二個の薬包が爆発したため、必要とされる濃硫酸がまだ背叛社に搬入されていないのであるから、被告人らは未だ爆発物を製造したものとはいえないと主張する。なるほど、右のように濃硫酸がまだ搬入されていなかつた事実は認められ、前記火炎びんは被告人らの意図からすると未完成品であつたと考えられるが、しかし、それ自体ですでに爆発物取締罰則にいう爆発物にあたるときは、被告人らの所為はやはり同罰則の製造罪を構成するものと解すべきである。なお、本件公判調書中鑑定人証人大久保正八郎の供述部分によれば、被告人らの意図したように濃硫酸が混入されている場合には、右濃硫酸は、投てきの衝撃により薬包が爆発しなかつたとき、びんから流出して塩素酸カリウムと反応して他の塩素酸カリウムと赤燐および金属マグネシウムの反応を惹起し、かつガソリンに引火するなど、主として右薬包の反応およびガソリンの炎上を確実にする作用を有するものであつて、右火炎びんの爆発の威力を高めるものではなく、むしろ、このような反応過程をたどつた場合には、薬包の爆発の威力は低下することが認められる。

二、爆発物取締罰則にいう爆発物とは、理化学上の爆発現象を起こす薬品その他の資材が結合した物で、その爆発作用そのものにより人の身体もしくは財産を損傷し、または公共の安全を乱すに足りる破壊力を有するものをいうと解されるので、前記火炎びんがその薬包の爆発作用により右のような破壊力を生ずるものであるかどうかを検討する。

1  まず右薬包の組成をみると、第四回および第五回各公判調書中証人中西秀樹の供述部分および第五回公判廷において同証人のとり出した砂糖の量の記載ならびに同人の前掲検察官および司法警察員に対する各供述調書によれば、右薬包中の薬品の配合比は塩素酸カリウム、赤燐、金属マグネシウムの各体積比で一対一対一と述べているものもあるが、検察官に対する昭和四三年一〇月二四日付供述調書以降、一貫して二対一対一に近いと述べているうえ、第五回公判において同人がとり出した砂糖の量も、塩素酸カリウムに相当するものが、他の二つより二倍ないし三倍近くであることなどに照らして、右の体積比は二対一対一に近いものと認められる。また、右各証拠を総合すれば(砂糖を代用した場合については、前記大久保鑑定人の供述に従つて各薬品の重量に換算した。)、薬品全体の重量は少なくとも二十数グラムはあつたものと認められ、その組成は、塩素酸カリウム約一五グラム、赤燐約四グラム、金属マグネシウム約六グラム前後であつたと推認することができる。

2  前記のとおり本件薬包は製造された直後に爆発しているが、その爆発時の状況をみると、本件公判調書中証人松井、同井川、同中西、被告人長谷川の各供述部分および宮部、井川、望月、長谷川の検察官に対する各供述調書を総合すれば、判示のとおり背叛社六畳の間に約一〇名の学生が集まつている中で、中西が二個の薬包を作り終わり、うち一個を被告人が手にしている時にこれが爆発し、次いでもう一つの薬包が誘爆したものと認められる。弁護人は、右二度の爆発は、薬包数個によるものであると主張する。なるほど、中西の検察官に対する供述調書には四つないし五つ作成したとの供述もあるが、前掲松井、中西らの公判調書中の供述記載および井川の検察官に対する供述調書などはいずれも薬包の個数は二個と思うと述べているうえ、爆発が二度であつたこと、最初の爆発は被告人が手にしていた一包みによるものであること、二度目の爆発も一度目のと同じ程度のものであり、二個が同時に誘爆したとは認め難いことなどを併せ考えると、薬包の個数は二個と認定するのが至当である。

前掲証拠によると右爆発の結果、被告人は着衣(半ズボン)の前面が焼け、身体前面に広範囲に重大な熱傷を負い、とくに顔面は耳を除いて全部脱皮し、前頸部、胸部は茶褐色に変色し、両眼角膜、眼瞼は全治期間が不明で、被爆当時は放置すれば生命の危険もあると診断され、その後の診断においても約一ヵ月の入院加療が必要とされており、またいずれも被告人から一、二メートルの範囲内にいたと認められる望月広は耳にキーンという痛みを覚える程の音を感じ、下愕、前頸部に約三週間の加療を要する熱傷を負い、長谷川は顔面、左右上下肢に、井川は左手首にそれぞれ燐の飛散とみられる火傷を負つているほか、同室内にいた他の学生らも爆発時に耳に衝撃を受けたり、爆風や、身体が圧迫されるような感じを受けている。また被告人から約一・六五メートル離れたガラス窓のガラス一枚が割れていること、および約三メートル余り離れた押入れの天井に赤燐の飛沫と見られる焼け焦げのあることが認められる。

また、右爆発が付近の住民に与えた影響をみると、背叛社二階にいた高橋良一は、ドカンという大きな音と床の揺れを感じ、テレビ、ガスの元栓を切つて身の回りの品をまとめて外に出、背叛社の両隣りの小倉藤吉(背叛社と同一棟)、長谷川紀子は屋内で、約一〇メートル離れた地点にいた辻本照夫は屋外で、いずれも大きな爆発音や振動を感じ、バケツ、消火器などをもつて背叛社にかけつけたり、あるいは警察へ電話をしたりし、その他現場から数十メートルの範囲内の住民は、いずれも何かの爆発音と思う異常に大きな音を感じて驚き、屋外に出たりあるいは窓を開けて様子を見るなどしている事実が認められる。

3  次に本件火炎びんに関して行なわれた鑑定人らによる実験の状況をみると、通産省工業技術庁技官大久保正八郎が、七二〇ミリリツトル入り日本酒びんにガソリン三分の二、濃硫酸三分の一を混入し、びんの側面に塩素酸カリウム、赤燐、金属マグネシウムの配合比を異にする数種の薬包を貼付して投てき実験を行つた結果によれば、五回の実験のうち本件薬包にほぼ近いと思われる塩素酸カリウム一三・七グラム、赤燐七・四グラム金属マグネシウム五・七グラムの薬包を貼付した二回の実験においては、約四メートルの距離から鉄板上に投てきすると、いずれも大きな音響と白煙、閃光を発しガソリンに引火炎上し、びんの破片は最高一〇・四メートルに、数個が三メートル以上に飛散し、あるいはびんの頭部が割れて実験者の頭上を飛び越え、あるいはびんの底部が数メートル離れた地点まで飛散している。(なお残り三回の実験のうち一回は金属マグネシウムが含まれていない薬包であり、二回は、塩素酸カリウム、赤燐は右と同量で金属マグネシウムが一一・四グラムであつた。)右の実験結果から同鑑定人は一ないし二メートルの範囲内ではガラス破片による刺傷、火傷を負い、場合によつては生命に危険な受傷の可能性があり、三メートル以内では相当の確率で治療を要する傷害を負う危険があり、次第にその可能性は低下し、一〇メートル以内では運が悪ければガラスの突き刺る危険性があると述べている。

次に科学警察研究所技官久保田光雅の実験によれば、ラワン材で組んだ木枠の下面の横板上に鉄板を置き、その上に塩素酸カリウムと赤燐の混合物を載せ上方から鉄製分銅を落槌させた場合、塩素酸カリウム八グラム、赤燐五グラムの混合物ではドカーンという大音響とともに赤い炎と多量の白煙を生じ、かたわらの空のカルピスびんを数十個の破片に破砕し、最高六・一五メートルの地点まで飛散させ、実験台上部横板の止め釘が浮いて台が壊れそうになつたことが認められる。

4 以上の事実その他前掲証拠にあらわれた事実を総合して本件火炎びんの爆発の威力を判断すると、ガソリンの炎上によるものを除いて考えても、一メートル以内の至近距離にいる者は、爆発による反応熱、赤燐の飛沫飛散するガラスの破片により生命に危険を生ずる程の熱傷、刺傷を負う確率が相当高く、二メートル以内では爆発の衝撃により窓ガラスの割れることもあり、二、三メートル以内の範囲内にいる者は主としてガラス破片、赤燐の飛沫による要治療の傷害を負う相当の危険性があり、なお数メートル以内では飛散するガラス破片により受傷する可能性があるなど身体、財産を傷害損壊するに足りる破壊力を有するものと認められ、これに加えて付近数十メートル以内の住民を爆発音ないし震動により驚愕、混乱させるなど公共の安全を乱すに足りる威力を有するものと認められるのであるから、本件火炎びんは同罰則にいう爆発物にあたるものと解するのが相当である。

(治安を妨げまたは人の身体もしくは財産を害する目的について)

判示第二の犯行の経緯からすれば、被告人は、信太、長谷川、中西ら背叛社に集合した学生らの数名と火炎びんを用いて判示攻撃目標の多くを攻撃することを共謀し、その攻撃に使用する目的で本件火炎びんを製造したもので、標記目的があつたものと認められるが、なお、弁護人、被告人の主張にかんがみ説明を付け加える。

一、弁護人は、被告人自身は攻撃を実行する意思がなく、他の学生らが何らかの行動に出る意思を有していたとしても、単にいやがらせまたはおどかしの目的で屋外の危険のないところへ火炎びんを投てきする意思であつたのであり、身体財産に対する加害の意思はなかつたと主張する。

しかし、被告人は、判示のように多数の攻撃目標をあげ、学生らに対し無政府主義の見地から攻撃の必要性を強調し、また、攻撃目標の下見や仮面の作成などの準備をさせ、かつ、犯示第一の犯行ののち、薬品を使用しての火炎びんの製作を企て、実験を行なつて判示のとおりの威力を有する火炎びんを製作しているのであり、しかも前掲共犯者らの供述調書および供述記載によれば、被告人らは目標とする建物をめがけて火炎びんを投てきすることを考えていたと認められ、松井の検察官に対する供述調書によれば、判示第二の犯行当日の例会の席上で、被告人は、火炎びんで怪我人や死者が出たらどうするという質問に対し、人一人の命を考えていては革命はできないと答えたことが認められ、前掲証拠によれば昭和四三年六月二九日長谷川は判示第一の構造の火炎びんを東洋大学体育会学生らに投げつけ、一名に火傷を負わせたことが認められ、これらの諸事実に照らすと、被告人らは、他人の身体を傷害することを本来の目的としていたのではないとしても、前記攻撃が他人の財産を損壊することはもとより、身体を傷害することの蓋然性を認識しながら、これをやむを得ないものとしてあえて攻撃する意思を有したことが認められ、同罰則にいう他人の身体財産を害する目的があつたものと認められる。

二、被告人は、攻撃は一〇月中旬といわれており、一〇月六日に製造するのは火炎びんの危険性を考えると時期として早すぎ、右は単に実験に使用するためのものであつたと述べている。

しかし、被告人らはすでに実験を行なつており、本件公判調書中証人中西の供述部分によれば、右実験の結果、被告人、信太、長谷川、中西らの間に、攻撃に使用する火炎びんは本件構造のものとする了解が成立していたことが認められ、さらに実験をする必要はなかつたと考えられるうえ、本件公判調書中証人宮部の供述部分によれば、被告人が犯行当日、担当者は完成した火炎びんを持ち帰えるよう指示したことが認められ、また当日製造しようとした火炎びんが同一構造のもの五本であることなどを考え併せると、本件火炎びんは攻撃用のものと認める他はない。

三、次に被告人は、同年七月ごろから警視庁警察官に背叛社の活動について情報を提供し、警察官から活動資金の援助を受けるとともに、自民党、公明党などの攻撃を示唆されており、他方背叛社においては学生らが前記攻撃を企図していたのであるが、自己の立場としては攻撃を実行する意思がなかつたので、右学生らの企図を挫折させるためやむを得ず、故意に判示薬包を手に持つて自爆したものであり、したがつて本件火炎びんを用いて攻撃を行う目的はなかつたと主張する。当公判廷における被告人の供述および第九回公判調書中証人間々田敬作、同深沢亮治の供述部分によると、被告人が同年七月八日ごろから九月二五日ごろまでの間約五回にわたり警視庁公安第一課所属の警察官たる右間々田と(うち約二回は右深沢を加えて)会合し、同人らの依頼により背叛社等に関する情報を提供し、その謝礼として合計一一万円の金員を受け取つていた事実が認められる。被告人がどういう意図でこのような行動に出たかは必ずしも明らかでないが、謝礼金を前記小倉アパートの家賃にあてるなど活動資金源とするのが主な動機であつたと推測される。本件攻撃計画については九月はじめごろから右間々田に報告していたことが認められるが、警察官らが攻撃を指示したことは認められない。被告人は、右の事実を他の学生らには秘匿しつつ、右警察官らと接触を始めたころから右学生らに対しその計画を提唱し、その後も終始被告人が主導的にこれを計画、推進し、時には尻込みする学生らを説得しようとさえしており、判示第二の犯行当日も被告人の指示で火炎びんの製造が始められたことなどを考え併せると、被告人に攻撃実行の意思がなかつたものとはとうてい認められず、前記のいわゆる自爆をしたとの弁解は採用できない。

四、右警察官らに情報を提供していたことと関連して、被告人は、右警察官らは背叛社の学生らの一〇月攻撃の計画を知つているから、かりに火炎びんを製造しても使用前に探知され、学生らが逮捕されまたは規制を受けて結局これを使用するに至らないであろうと信じていたのではないかとの疑問が生ずる。前記間々田の供述記載によると、本件犯行当日、背叛社の周囲に数名の警察官が張り込み、被告人らの行動を監視していた事実は認められるが、本件のような爆発が起こらなかつたとすれば、警察官が学生らを火炎びん製造の段階で直ちに逮捕しえたかどうか疑問であり、警察官としてはむしろ内偵を続け、情報を得て攻撃をまつて逮捕する意図であつたことがうかがわれ、被告人としても、前記のとおり背叛社付近で多数回の実験を行なつても逮捕されなかつたことなどから、火炎びんを製造しても攻撃実行に至るまでは学生らが逮捕されることはないと考えていたものと認められるので、前記の事実は火炎びん使用の意図を認定することの妨げにならない。

(火薬類取締法違反について)

理化学上、火薬(爆薬を含む。)とは、工業的利用価値を有する爆発物をいうものと解されており、しかも工業的利用価値があるというためには、第一にその爆発物が安定したものであることが必要である。本件薬包の内容物は、本件公判調書中鑑定人大久保正八郎の供述部分によれば、感度が異常に高く、わずかの衝撃または摩擦によつて爆発を起こすことが認められるうえ、前記一〇月六日の爆発の事実に徴してもきわめて鋭敏であることがうかがわれ、きわめて不安定な物質であつて工業的利用価値があるかどうかは疑わしい。しかし、火薬類取締法にいう「火薬類」の意義については右理化学上の定義を基本としつつも、同法の立法趣旨に照らして解釈すべきであるところ、同法は主として、火薬類のもつ危険性に鑑み、その製造、貯蔵、運搬、販売等の行為を規制することによつて、災害を防止し、公共の安全を確保しようとの行政上の目的にもとづくものと解せられ、右の見地から同法が主として工業的利用価値を有する爆発物を規制の対象として予想していることは疑いないが、右立法趣旨に照らすと、これらよりも不安定で、危険な爆発物を特に規制の対象から除いたものは考えられず、同法二条一項に列挙されたものは、その工業的利用価値の有無にかかわりなく規制の対象としているものと解すべきである。

本件薬包の内容物は、前記のように塩素酸カリウムを主とし、これに赤燐および金属マグネシウムを混合したもので、これらの急激な酸化反応を利用することを目的として作られ、前記のような爆発性能を有するものであるから、その工業的利用価値の有無にかかわらず同条一項二号ロの「塩素酸塩を主とする爆薬」にあたると解してさしつかえなく、したがつて「火薬類」として、同法四条、五八条二号の適用を受けるものと解するべきである。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は刑法六〇条、暴力行為等処罰に関する法律一条、刑法二二二条一項、罰金等臨時措置法三条一項二号に、同第二の(一)の所為は刑法六〇条、爆発物取締罰則三条、一条に、同第二の(二)の所為は刑法六〇条、火薬類取締法五八条二号、四条にそれぞれ該当するところ、判示第二の(一)(二)は一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条に従い一罪として重い爆発物取締罰則違反罪の刑で処断することとし、所定刑中いずれも懲役刑を選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから同法四七条本文、一〇条に従い、重い爆発物取締罰則違反罪の刑に刑法四七条但書の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役三年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中二五〇日を右刑に算入し、押収してあるガソリンよう液体の入つた七二〇ミリリツトル入り日本酒びん五本(昭和四四年押第七九一号の九、一〇、および一二ないし一四)は、いずれも判示第二の(一)の犯行の用に供せんとした物であり、かつ犯人以外の者の所有に属しないから、同法一九条一項二号、二項本文によりこれを没収することとし、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項但書に従い被告人に負担させないこととする。

(量刑の事情)

本件各犯行は、無政府主義革命を志向する被告人らの計画的な実力行動の一環であり、法秩序を否定し、公共に重大な危険を生じ、世人に不安を与えた悪質な犯罪であり、とくに判示第二の犯行は、社会不安を醸成する意図のもとに危険な爆発物を用いて政党本部、工場等の攻撃を企てたもので、爆発物製造の段階で終わつたとはいえ、その際惹き起こした爆発事故により背叛社付近の住民に深刻な恐怖感を与えている。しかも被告人は、背叛社において指導者的地位にあつて、終始学生らに働きかけ、右各犯行を計画、推進したことが認められるので、その責任は最も重い。もつとも、本件における特異な事情として、被告人は判示第二の攻撃計画を推進しながら、裏面では警察官に情報を提供して謝礼金を受け取つていたことを挙げなければならない。しかし、この事実は本件犯行の違法性に影響を及ばすものでないことはもちろん、被告人が自己の意思にもとづいてした本件犯行の責任を軽減するものでもない。ただ、被告人が警察官と通ずることによつて、犯行に対する若干の安易感を抱いたであろうことは十分想像されるところであり、また攻撃計画が警察に知られていることによつて、本件爆発事故が生じなかつたとしても、攻撃が阻止される可能性があり、遅くとも攻撃後には犯人らが逮捕されたであろうと考えられ、これらは幾分利益な情状として考慮さるべきであろう。また、判示第二の火炎びんは、従来判例により爆発物にあたらないとされてきた火炎びんとは異なり、爆薬を使用したもので威力が大きいが、爆発物としては必ずしも破壊力の大きいものでなく、その数量もわずかであることなど諸般の事情を併せ考えると、被告人を懲役三年に処するのが相当である。

よつて主文のとおり判決する。

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